不良な少年時代に生まれ育ち、暴走族で青春時代を過ごした人物に対談インタビュー。単車・仲間・故郷を愛し、激動の「駆け抜けた時代」を振り返る。第1回のゲストは、暴走エリート達のメッカ北関東から、栃木・小山「爆神」二代目・副総長を務めた瀬内氏を招き、荒れた時代、無鉄砲に突き進んだあの頃を振り返りつつ、今、そして、未来について語ってもらう。
瀬内
「小山・祭レーシング」は1990年に、東京・祭レーシングと浜松・祭レーシングの代表から、3つ上の先輩が名前をもらって立ち上げました。
CR
東京・静岡に次いで、栃木に祭レーシングが新設されたんですね。当時は何に乗ってたんですか?
瀬内
71クレスタです。当時まだ現行モデルで高かったので、知り合いの中古車屋で70万円で買いました。
瀬内
白で下ゴールドのツートンカラーです。エアロはピッツゥーラでリアは延長ハネ、ホイールはボルテックスの白ディスクにゴールド色を履きました。改造は基本的に自分で、仲良い先輩に板金・塗装を手伝ってもらったり。単車に比べて金かかりますけど、四輪もイジるとやっぱ楽しいですね。
瀬内
ハタチの頃560ベンツに乗った以外、ずっと今も持ってるのは71クレスタです。トヨタ3兄弟でも、チェイサーやマークIIじゃなくて、やっぱり高級感あるクレスタのカタチが好きなんで。
瀬内
単車で走ってた暴走族のOBが、クルマで集会する感じでした。単車が集会する後ろを、四輪が応援で付いていく。街道レーサーで静岡・御殿場に走り行ったり、正月は日の出暴走で富士山、茨城の海にも行ってましたね。
瀬内
当時12~13台でしたね。正月に各地で四輪チームが集まると、大変な状況になりますけど。
CR
いわゆる「初日の出暴走」は90年代の当時、テレビのニュースにもなった事件がありましたよね?