※タップで各タイトルの記事を表示します

目次
1.東京vs.神奈川の歴史的抗争「七里ヶ浜」






●暴走族が激しく揺れた'70年代

 本題に入る前に、暴走族と呼ばれる以前のことを記しておきたい。そのルーツは遡ること50年以上も前のこと、公道を猛スピードで走行していた“カミナリ族”にあると言われている。スピードの向上を求めてマフラーの芯を抜くなどの改造を施し、その走行には大変な騒音が伴ったことから付いた呼び名が「カミナリ族」だった。当時はまだ「一過性の若者文化」といった見方がされており、騒音以外はさほど大きな社会問題にはなっていなかった。
 この当時のバイクといえば、主流は排気量750cc。俗に言う「ナナハン」で、当然ながら車体価格もそれなりに高価なもの。未成年がおいそれと手を出せる代物ではなかった。その憧れもあってか、バイクは不良達にとってステイタスの象徴となり、どうしても欲しい物へと変わった。
 当時の不良、ティーンエイジャー達に一気にバイクが広がり浸透していったのは、'70年代後期に起こった400ccバイクの多様化と、それに伴う低価格化だ。バイクメーカーによる販売路線の拡大化が、その狙い通り見事にハマッた結果を見せたと言えるだろう。
 モヤモヤとした不満や不安を抱える十代の少年らにとって、スピードやスリルはフラストレーション解消の特効薬となった。単車乗り人口が大幅に拡大されていく中で、次第に若者達の集団暴走が問題となりはじめる。これこそが「暴走族」の誕生であった。
 最初のうちこそ、誰よりも速いことがステイタスであった暴走族も、次第に国粋主義的な要素を取り入れたチームが増えていく。そして暴走族の軸の部分に“縄張り”“守る”“暴力”が自然な形で加えられていった。
 不良少年達は、その威風堂々とした姿に痺れた。全国で同時多発的に暴走族が結成され、メンバーが100人を超えるような大所帯のチームも増えていった。そうなると、当然のように各地で衝突が起こる。中でも有名なのが、東京・神奈川の暴走族、計600人が衝突した鎌倉の「七里ヶ浜事件」、そして、極悪とCRS連合が衝突した「大井ふ頭事件」など、まさに血みどろの抗争も多く発生。国家権力を持つ当局も、事態を見過せなくなってきていた。
 社会問題として取り上げられる契機となったのが、昭和51年の「神戸まつり事件」だ。群衆を巻き込んだ暴動が発生し、神戸フラワーロードは騒乱状態に。車は焼かれ、無数の喧嘩が随所に起こり、取材中の新聞社カメラマンが死亡する事態に至っては、警視庁も本腰を入れて立ち上がるほかなかった。そこで施行されたのが大幅な道路交通法の改正であった。
 中でも最も注目されたのが、「共同危険行為の禁止」という項目。簡単に言えば、『2人以上ツルんで危険な走りをしたらソッコーでツブすよ?』といったもの。以降、暴走族はゲリラ化し、警察の締め付けはどんどんと強行な内容へと強化されていくのだった。

1.東京 vs. 神奈川の歴史的抗争
「七里ヶ浜」
※使用している画像について
当時のイメージになります。ご理解ください。

●1975年6月8日「七里ヶ浜事件」
 今から45年前、暴走族史上で今も語り継がれる事件があった。それが1975年6月8日に発生した「七里ヶ浜事件」だ。過去のチャンプロードでも、当時を知る人物から直接話を聞いたことがある。また、その証言を裏付けるように神奈川県警察の資料に基づき掲載された新聞記事も残っている。
 当時の危険な暴走族の姿、喧嘩上等、暴走と暴力に明け暮れた日々を過ごしていた時代に巻き起こった大事件は、なぜ始まってしまったのか? そこには、当時の暴走族という男達の姿と時代背景があった。
 その規模においても、暴走族の歴史上、大きな意味を持っていたと言える七里ヶ浜事件。そもそものキッカケは、暴走族・神奈川レ−シング連盟の傘下だったピエロ/ホワイトナックルなどと東京山の手・三多摩地域を縄張りにしていたスペクター/ルート20/アーリーキャッツ/ブラックエンペラ−などが度重なる抗争による乱闘事件を起こし、双方に負傷者を出したことに端を発したという記録が残っている。


 1975年6月7日の深夜、アーリーキャッツ/ルート20/スペクターのCRS連合が中心となり一部の関東連合、全狂走連などの東京のグループが駒沢オリンピック公園に集結。
 一方、ピエロ/ホワイトナックルを中心とした神奈川レ−シング連盟は城ヶ島、三浦海岸に集結した。 爆音と共に男達の荒れ狂った勢いと雰囲気に包まれる中、抗争で使うための木刀、角材、ヌンチャクといった武器が多数準備された。
 この日は徹底的にやってやる。それぞれ相手を殲滅することを目的に、攻撃相手を求めて深夜の街道をけたたましい爆音を奏でながら走り回る。 東京グループの車両190台を集め、湘南方面に向けて移動。そして、神奈川グループは車両180台にメンバーそれぞれ分乗し出発。神奈川グループがちょうど城ヶ島を通過しようとした直後、「東京の奴らが来る」という第一報が入ってきた。神奈川に入ってきた以上、そのまま通すわけにはいかない、どのルートを通過するかを予測した探索が開始された。
 6月8日午前3時5分、遂に両チームが真正面で向き合う。その場所とは、鎌倉市七里ヶ浜の湾岸道路上、そこで両者が遭遇した。互いに一触即発の臨戦態勢の中、先頭を走っていたリーダー達による話し合いが行われていた。そんなタイミングで事態は急変、最悪の方向へ進むべく、それは起こってしまった。
 「最初はやるつもりなんて無かった。だけど若い連中は、やるつもりで来ていたもんだから、その場の雰囲気に飲まれ、勢い余って始まってしまった……」
 一度火が入った勢いは凄まじく、東京 VS. 神奈川の大乱闘に発展する。そこに停めてあったクルマやバイクはボコボコにされ、海岸線の道路から海に投げ込まれる車両も続出。ガソリンの臭いに包まれる中、突然炎が上がって車両が炎上。その抗争を阻止すべく、警察も加わるが、さすがに600人規模の大乱闘は、そう簡単には止められない。その結果、警官5名を含む27名が大怪我を負った。また、車両についても四輪4台が大炎上して真っ黒こげに!! 他にも車両28台がウインドウを壊され、ボンネットやルーフが潰れるなど被害を受けたとされているが、実際にはそんなもんじゃなく、もっと多くの四輪・二輪が潰されていたそうだ。
 この大乱闘の抗争事件、その規模も凄まじかったが、一方で逮捕者の数も凄かった。未だかつて、これほど多くの暴走族の一斉逮捕はないほど。その数なんと双方合わせて412名にも達した。
 暴走族の誕生からしばらくして、巨大グループ化していった中で発生した大抗争事件。この湘南・鎌倉「七里ヶ浜事件」は、それまでの小競り合いとは違って、巨大組織である東京 vs. 神奈川という連合同士のぶつかり合いという点においても話題となり、当時の新聞記事で大きく取り上げられた。

次のページへ続く!

チャンプロード×単車の虎には、ヤンキー・旧車に関する記事が盛り沢山!

特集コーナー の他の記事

単車ぱぁ~つトリセツ ヘッドライト交換

ヘッドライトの交換方法をご紹介!

先生・友よ! ありがとう!! 祝・卒業式 2021春

恩師や両親に感謝して
大切な仲間と記念撮影!

最新記事
昭和ミーティング&ノンスリパーティー in 旧★州

ド迫力のドリフト炸裂!!

俺たちの生きた証 チャンプロード プレイバック vol.93

チャンプロード2006年3月号の誌面をご紹介!

最新記事をもっと見る